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置かれた場所で咲きなさいの意味について

 人間、無理して努力して成長する、というが、そんなに成長していいことはあるんだろうか。そもそも成長って何だろう。楽しく生きたらそれでいいじゃない。と思うことが多い。留学にきて、そもそも人と関わるのが苦手で、趣味もインドアな私が、友達を作らないとと無理したり、テンプレの留学成功談に悩まされて鬱気味になってしまったのはそれが原因だと思う。

 私が思っていた成長を否定的に定義すると、社会が今祀り上げている最先端の偉大な人物の追体験を強要されること、であると思う。今の経済界の要人は、いい家に生まれ、いい大学をでて、留学して人脈を増やし、出世して社長になり、見事な手腕で最先端ビジネスを操っている。確かにそのような人物がたくさん生まれれば、経済成長し、より便利なものが生まれ、生活に選択肢も増えるだろう。だが、果たして選択肢を無理して増やすことが全ての人々を幸せにするのだろうか。成長と選択肢はトレードオフだ。勉強しなければ人は大学を選べない、入る企業も選べない、収入も選べない。しかし勉強しなければ楽だし、娯楽に時間を使うことができる、努力を強要されないから辛くもない。後者は社会的には否定される。享受している娯楽は人の努力により作り上げられたもので、自分は全く社会の役に立ってないではないかと罵られるかもしれない。