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アラジンについて

 先日、久しぶりにディズニー映画を見ました。前に見たディズニー映画はなんだったでしょう、機内で見たくるみ割り人形の映画だったでしょうか。そのストーリーラインのレベルの低さに驚いた記憶があります。今回は、友達の勧めもあってアラジンを見に行きました。ダニーデンの映画館は試験期間中なのもあってかとても空いていて、こんな人入りの少なさで経営はできているのかと多少不安になりました。それはともかく、忘れないうちに内容について疑問に思ったことをまとめたいと思います。

 まず、国のお姫様のシーンについて、疑問を覚えました。食糧不足で苦しむ子供に、商人の売っていたパンを勝手に与えてしまうところからはじまります。これは世間知らずのお嬢様と言うことを伝えたかったのでしょうが、彼女は仮にも本を読んで知識を蓄えているという設定です。お金さえ払えないのに、そのような身勝手な行動をできてしまう所に疑問を覚えました。更に言えば、そのあとアラジンが彼女のブレスレットを忘れてきてしまった時に、彼を泥棒と罵っていますが、彼女自身もそれに値する行動をしていたので、見ていていい気持ちはしませんでした。その後、彼女はその発言について全く謝罪もしていませんでした。

 次に気になったのは、魔法のランプの精霊の設定の雑さです。魔法のランプへの頼みごとには解釈の余地があるのはとてもユーモアが溢れていると思います。しかし、同時に魔法の精霊は主人の命令にそむけないという辛い設定があるからこそ、解釈の余地は無くすべきだと感じました。解釈の広さがあれば、最後の悪役の「宇宙一強い創造物になりたい」というセリフだって、「一番強いものができたら僕は二番目だから、僕の呪縛の魔法が解けるのさ」と言ってハッピーエンドにできます。命令に彼の解釈が介するなら、アラジンが直接自由になれと言わなくとも。彼は今頃自由でしょう。

 最後のシーンについても私は認められませんでした。お姫様の父親である国王は、最後自分が女性に王位継承をさせようとしなかった非を認め、なぜかすぐに彼女を国王へと据えます。仮に、国王が一つ間違った考えをしていたとはいえ、彼女を国王にするのは早計ではないでしょうか。確かに、彼女が国王になる権利はありますが、まだそれを担う為の能力や知識は全くないでしょう。私情で王位継承できる国はどうかしてますし、そんな国で起こったハッピーエンドはすぐに崩れることでしょう。

 また、この映画に対して話題になっている論点についても触れたいと思います。女性は男性の助けがなくてもお城を抜け出せる、という話です。私はそうではないと思います。まず、時代背景として、王位継承を男子だけにさせ、権力や富は男性に帰属すると言う設定です。その場合、理解ある男性に恵まれない場合は岐路を開くのは難しいでしょう。彼女がもしあの時ひとり旅に出て世界を知ろうとしても一人野たれ死ぬ未来があったでしょうし、彼女が声をあげたからといって父親はおじによって消されていたでしょう。この映画は、お姫様が人の力を借りて、自立できるようになって、幸せになるということが描きたいのであって、男性が女性を助けられると言う解釈は、それをコンプレックスに感じている人が勝手に生み出したのだと思います。

 このように色々な文句を書き連ねましたが、ディズニーの実写化映画の中ではメリハリの聞いたストーリーでしたし、風景描写や音楽、ユーモアのセンスは素晴らしかったです。